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【うつ病 ④】人生の転落 ~退職と引きこもり~

 

こんにちは、ピピです。
今回の記事では“教員を退職してから引きこもりの生活”についてお伝えします。

半年間の休職後、年度末の3月に復帰訓練をしましたが、現実に戻ると同時に心が崩れていきました。逃げるように退職です。復帰訓練から退職、その後の引きこもり生活の体験と感想を書きたいと思います。


人生の転落


教員の退職


教員の復帰訓練はプログラム化されています。一般的には3か月くらいかけて現場になれていくよう説明を受けました。私は病気が治った気分であり、管理職と相談の上、一月半になりました。 ※医師の診断が必ず必要です。

初めは2~3時間程度、校長室出勤です。※休職中なので“出勤”ではありません。復帰の目途が立たないうちは全児童に顔を合わさないようにしていました。職員室で教職員に挨拶をしながら、副校長のお手伝いです。想像していた通り、非常にやりづらい空気でした。その後、徐々に滞在時間が長くなり、児童と触れ合うことになります。

そして私が崩れるのはここからです。
約3週間が経ち、4月の復帰が現実になりそうなとき、次年度の人事について打診が始まります。

第一学年担任 体育主任 研究会本部役員 その他諸々
※一緒に組む隣りの先生は産休から復帰

病気になる前は、こなせていたものが、考えるだけで怖くなる。
私の病気が全く治っていなかったと思われ、日に日に思考が鈍くなり、あっという間に身体が震えてしまいました。

限界を感じた私は、ロッカーの整理を行い、校長に退職を願い出ました。

校長からいただいた最後の言葉だけ書きます
涙を流しながら、握手をしてくれました。

「〇〇先生、力になってあげられなかった。ごめんな。ごめんな。」

「何でもいいから今後困ったら連絡くれよ。」


それが正規教員の最後です。退職です。


脱力感と引きこもりの生活


退職届を提出した日、彼女に別れを告げました。退職したことを伏せて一方的に、作り話と予想される反応を全力で考えて話をし、傷つけました。可愛くて、とても優しい人でした。そんな人は幸せになる義務があると思います。自分が笑うことができないのに相手を笑わせることはできません。
それから1,2年後に結婚の報告を受けます。
私個人の見解です。いえ、結果論ですので参考にはならないと思いますが、結婚の報告と、この7年間の自分の様子から判断すれば、私のとった行動は妥当であったと言えます。

仕事は、夢と希望であり、彼女は、将来を共に過ごすだろうと思う相手でした。
私のバランスはこの2つで保たれ、生きる糧になっていたと思います。それらを手放した後は脱力感に襲われてしばらく動けませんでした。引きこもりの生活は、人生の中でぽっかり空いた穴のように、4,5か月くらい何をして過ごしていたのか覚えていません。ただ、夜中は泣いていたのではないかと、そのくらいの記憶しかありません。

退職と同時に精神科の通院を止め、家族や友人にも会わず。
公務員のため、雇用保険がないのでハローワークに行くわけでもなく。

その後、少しずつ我に返ったようです。家賃、国保、国民年金、住民税と無職では考えられないほどお金だけが減ります。振り返ると減免など打てる手があったのかもしれません。溜めてきた貯金なんてどうでも良かったですけど、父に声をかけてもらったのがきっかけで、家を引き払い、自転車で5,6分の実家に帰ることに決めました。

実家に帰ってからも無職の生活は続きましたが、週2回のジムと週1回の水泳は習慣になり、自炊など家事をこなして、少しずつ活動的になったと思います。


人生の転落を感じた日から一年間の休息でした。


ピピの振り返り


人生のどん底。どん底の定義は人それぞれであり、自分の心が決めると思います。ピピは初めてどん底を味わい、人生が変わってしまいました。

一年間の無職生活を送って少しずつ自分を取り戻し、その後は社会復帰をします。ただし、病院には行っていませんのでどんな生活が正しかったのか分かりません。ピピの経験から思うことは、時間をかけて心身のリハビリを継続することが大事。ある程度の期間、ある程度の行動を起こし、心身の異変が起こらなければ新たな道を考えられる気がします。


次回は 👉社会復帰と資格 についてお伝えします。

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